Street Classics Of New Balance
3つの証言から紐解く。 ニューバランス「MT580」が ストリートクラシックたる理由。

- FEATURE

人の記憶ってやつは、ふとした瞬間に蘇る。久しぶりの場所を訪ねたとき、懐かしい人に出会ったとき、そして、思い出の品と再会したとき。芸能界でも指折りのキックスフリークとして知られるシソンヌの長谷川忍さんにとっては、そのひとつが「MT580」というスニーカーだった。かつて衝撃的な企画を実現させてこのモデルの名を世界に広めたトレンドセッターや、本国ボストンのクリエイティブチームに続く「MT580」にまつわるストーリーは、彼のエピソードで締めくくり。今や押しも押されもせぬ人気芸人が、まだひとりのスニーカーヘッズだった頃を振り返る。

  • Photo_Masashi Ura
  • Text_Rui Konno

長谷川忍/お笑い芸人
1978年生まれ、静岡県出身。2006年、NSC東京校で同期だったじろうとともにシソンヌを結成。2014年のキングオブコント優勝に象徴される通り、生粋のコント師として存在感を強め、現在ソロではMCも方々でこなしている。上京前から原宿へと通い続けていた裏原フリークで、10代の頃からストリートファッションを通して様々なカルチャーに触れて来た洒落者であり、無類のスニーカー好きとしても有名。

MT580が出て「ニューバランスって ストリートでもアリなんだ」って。

全3回で構成される「MT580」についての記事ですが、その最後のインタビューイとして長谷川さんにオファーをさせていただきました。よろしくお願いします。

長谷川よろしくお願いします! 580は本当に思い出深いので嬉しいです。

実際に過去にも履かれていたんですか?

長谷川はい。最初はもう20年以上前の〈ヘクティク〉とミタ(スニーカーズ)とのコラボですね。当時は20歳そこそこだったんですけど、あれがきっかけでこのMT580っていうモデルを知りました。その後にも〈ステューシー〉や〈アンディフィーテッド〉とかともコラボモデルを出してましたよね。その後のMT580のコラボは毎回全然買えなかったんですけど、当時チャプターで働いてた友人が譲ってくれたのが確か〈ステューシー〉コラボのMT580だった気がします。ミタとヘックとのトリプルネームの。

あのときの争奪戦を思うと、当時ゲットできた高揚感も想像がつきます。

長谷川そうなんですよ。でも、初めてMT580を手に入れて、下ろしたその日にライブだかクラブだかに行ったんですけど、そこで思いっきり踏まれて。

うわぁ…。

長谷川それで誰かの靴のソールの跡が付いちゃって、めちゃくちゃ凹んだのを覚えてます。 映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』みたいな 。その日は1日落ち込んでました。ー苦い記憶を思い出させてしまってすみません(笑)。

苦い記憶を思い出させてしまってすみません(笑)。

長谷川いえいえ(笑)。でもMT580を知るまで、正直〈ニューバランス〉にはあまりピンときてなかったんですよ。

そうなんですか?

長谷川あのときは若かったこともあって、 “ニューバランス=ちょっとオジサンの靴”っていうイメージがあったんです。ビームスとかユナイテッドアローズとかで買い物をしてる小ぎれいな格好の人たちが、メイド・イン・UKのモデルを履いてたりする印象が強かったのかもしれません。そのころは自分もストリートにかぶれてたんで、言い方は悪いですけど「ニューバランスなんてナヨナヨしたヤツが履くんだろ?」なんて思ってました。「何だよ。高級なスニーカー、履きやがって」みたいな。

めちゃくちゃ暴論ですね(笑)。

長谷川そういう偏見を持ってたんですけど(笑)、これ(MT580)がヘックから出て「え!? ニューバランスってストリートでもアリなんだ…!」って。 実際にあれ以降、ストリートファッションの中でも〈ニューバランス〉が一気にポジションを取っていった感がありますよね。 当時は〈ヘクティク〉がとにかく流行ってて、 街でみんなが〈ヘクティク〉の太い3 Dパンツに ヒモを緩めてタンを出した580を合わせてるのがめちゃくちゃ格好よくて。その後 〈ステューシー〉と〈アンディフィーテッド〉とのコラボで出たMT580が確かピンクの派手な色で。当時はもう芸人になってたから26歳とかだったと思うんですけど、そのモデルがどうしても欲しくて当時チョコレートプラネットの松尾と、もう1人同期の芸人に一緒に並んでもらったのを覚えてます。

当時はただ夢中になってたけど、 20年越しでストーリーを知った。

その抽選はうまく行ったんですか?

長谷川僕と松尾は番号がめちゃくちゃ後半で、「何だよこれ!」って言ってたら、一番興味無さそうなもうひとりのヤツが前の方の番号を引いてくれて、何とか買えました。それは本当に気に入って毎日履いてましたね。この間、〈ストレイ・ラッツ〉からもそれにちょっと似たカラーのMT580が出たのを見て、懐かしいなって。

やっぱりY2Kムードがまた戻って来てる感じはしますよね。

長谷川そうですね。〈ストレイ・ラッツ〉も実際にもあの頃をイメージしていて、日本に来てYOPPIさんにそれを渡したって聞いて、「いい話だな…」って。あの頃の裏原のものが今のアメリカの人たちに刺さってるっていうのが感慨深いですね。自分でも欲しくて、〈ミンナノ〉に行ってゴローさんに聞いたんですが、残念ながら僕のサイズはもう無くなっちゃっていて諦めたんです。

失礼ですけど、未だに当時と同じようにスニーカーを追っかけて一喜一憂されているのが微笑ましいですね(笑)。

長谷川そうですね、僕は完全にお客さんです(笑)。MT580は元々ワゴンセールに掛けられてたものをこんなに格好よい存在に昇華させた、とかっていう話も面白いですよね。当時はそんなことも分からずただ夢中になってましたけど、20年越しでそういうストーリーがあったんだって知ったのが、自分にとってはすごくエモかったです。やっぱりこの感じ、懐かしいなぁ。 確か当時の〈ステューシー〉とのコラボのモデルはヒールに刺繍で文字が入ってたんですよね。(スマホで検索しながら)あ、コレです! 懐かしい…!

ちなみに踏まれたのがこれですか?

長谷川踏まれたのがコレです(笑)。でも、今見てもイイですね。 これにデニムとかっていう格好が好きだったっす。いま、裏原の皆さんにお会いして当時の話を聞かせてもらったり、同年代のやつらであの頃の話をして盛り上がったりとか、やっぱり楽しいですね。

MT580を見ていると、 当時の熱量がフラッシュバックする。

今は芸人さんにもスニーカー好きの方は多いですけど、その辺の話ができる方は当時から好きだったんでしょうね。

長谷川そうですね。僕の中では当時からこのヘックのMT580を履いてた芸人といえば品川庄司の庄司さんで。当時、よく〈バランス(ウェアデザイン)〉のパンツにこれをよく合わせられてたんですよ。僕がそれを覚えてて、庄司さんに会うたびに「庄司さん、あの頃は…」とかって話してたんですけど、今は「洋服たくさん買いすぎるとミキティに怒られちゃうから」とかって言われて(笑)。「いやいや! 庄司さん、ガンガン買ってくださいよ!」みたいな。

(笑)。雑誌『Boon』なんかでお見かけしていた庄司さん、印象的でしたよね。

長谷川ですよね。MT580を見ていると、その当時の熱量がフラッシュバックする感じがします。単純にデザインとしても今また面白いですよね。〈ニューバランス〉の中ではハイテク系のバッシュみたいにボリューム感の強い方のモデルだと思いますし、ストリートな服にハマりやすい気がします。このパーツ使いとかもいいなって。

機能的な要素ですけど、見栄えにもかなり影響してますよね。

長谷川そうなんですよ。このソールのロールバーがイイっていう感覚が当時からありましたね。今日の自分の格好も、一応当時っぽくヒモをゆるめてタンを出してみました。僕みたいなデカいサイズのMT580を太いパンツに合わせてる感じが好きなんです。ブルーデニムを合わせたら当時の感覚を思い出して「なんかちょっと若返ったような気がする」って嫁さんに言ったら、「…何が?」って普通に聞き返されましたけど。

あの頃の裏原宿を知らないとそういう反応になりますよね(笑)。

長谷川ハイ。当時はみんなシューレース、この辺(真ん中)くらいまでしか通してなかったですよね。タンを立ち上げるために。よくこれで平気で歩いてたなぁ(笑)。しかも当時は僕、めちゃくちゃ腰履きだったから余計に。おかげで未だにパンツを腰で穿く癖が抜けなくて、仕事でスーツを着るときにも癖でつい下げちゃって「やめてください」ってスタイリストさんに言われちゃうぐらい。多分60歳、70歳になってもやめられないと思います。

重症ですね(笑)。でも、それくらい当時が印象深いってことですよね。

長谷川本当にそうだと思います。MT580を久しぶりに手に取ったときは「懐かしいな〜」ぐらいの気持ちだったんですけど、履いてみるとやっぱりあの頃の感じが蘇って来て、いいなって。世間的にも2000年代がまた面白いよな、となってると思いますけど、あんまり説教臭くならないようには気をつけてます。「お前ら、当時のこと知らないだろ」みたいなことは言わないように、って。それでも、たまに出ちゃうときがあるんですけどね。「その履き方、前から知ってんだよ。オジサンたちは」って(笑)。