「GL 6000」の性能。
Text_Masahiro Minai
Edit_Hiroshi Yamamoto
GL 6000を始めとしたリーボック クラシックのレトロランニングモデルを履いたスニーカーフリークからよく聞く感想は「この履き心地なら、カジュアルシーンだけじゃなく今でもランニングに使えるんじゃないですか!?」というもの。‘80年代中期以降にリリースされた〈リーボック〉のランニングシューズは、外見上の派手さは無かったものの、純粋な走行性能に関してはライバルブランドに勝るとも劣らないと評価されたモデルも存在していたのであった。
1980年代初期までの〈リーボック〉のランニングシューズはボルトンの自社工房で製造されていた。著名な都市名をそのままモデル名とした「パリス」や「ロンドン」といったレース対応モデルは、1984年のシカゴマラソンを当時の世界最高記録で制したイギリス人ランナーのスティーブ・ジョーンズに着用されていたし、「レンガのように重い!」と揶揄された「アズテック」も当時のランニングシューズのレベルにおいてはクッション性と安定性は高レベルにあった。しかしながら‘80年代中期を迎えるとランニングシューズのハイテク化は急速に進み、EVAの板を靴底状に切り抜いたミッドソールを使用した〈リーボック〉のランニングシューズは、一般的なランナーの視点からすると古臭く感じたのは仕方なかった。
スティーブ・ジョーンズのようなトップアスリートは見かけが派手なテクノロジーよりも、しっかりとした職人技でハンドメイドされる昔ながらの構造のシューズのほうを支持し、’80年代末期までボルトン製のランニングシューズを履き続けたが、1987年にはナイキが初のエアのビジブル化に成功したエアマックスをリリースしたように、時代が急変していたのは事実で、リーボック首脳陣はR&D(研究開発)チームに対し、「技術の粋を結集した新テクノロジーの開発」を命じたのである。
このような状況において、〈リーボック〉はニューテクノロジー搭載のランニングシューズに関してはボルトンでの製造を諦め、アメリカでの研究開発および極東地域での製造とすることとした。この当時のスポーツシューズ業界は企画開発こそ本社のある地域で行われたが、生産に関しては専ら韓国や台湾などの極東地域で行うことが一般的となっていた。このようにして誕生したのが、ミッドソールの外側を固い素材、中央部を柔軟な素材とした異密度構造とすることで、着地時の高い衝撃吸収性と安定性を高次元で兼ね備えることに成功したテクノロジーである。
当初ReeboundというReebokとRebound(反発、反動)を組み合わせた名称で呼ばれたミッドソール構造は、のちにダイナミッククレイドルシステムに発展。アメリカ合衆国特許番号4759136として1988年7月26日に登録が完了している。クッション性と安定性の両立は現在もランニングシューズにおける難題とされるが、このテクノロジーは現在の視点でも高いレベルで衝撃吸収性と安定性を兼ね備えていたのは間違いない。
そのほかにもミッドソールの前足部に溝を入れることで屈曲性を高めるフレックスウェーブスや、耐摩耗性に優れたグッドイヤー社製のラバーコンパウンドINDY500を使用することで、現在はストリートシーンでポピュラーな存在となっているGL 6000は、当時としては最上級クラスの機能性を誇るランニングシューズとなっていた。
しかしながら視覚的なインパクトだけで比較すると、ほぼ同じ時代にリリースされた他ブランドのモデルに比べてシンプルすぎたとういうのが事実。リーボックはこのときの教訓をもとに、‘80年代末期以降エナジーリターンシステム(ERS)やヘクサライトといったテクノロジーに関しては、当初の搭載モデルこそ外部から視認することはできなかったが、後期モデルではビジブル化にトライしている。