Excellent Maker. SPECIAL01 正能哲也 vol.01

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今回のエクセレントメーカーは、ニューバランス ジャパンにてシューズの企画を担当する正能哲也氏にスポットを当てます。MRT、MRLなど、新しいテクニカルを搭載させたシリーズや、各ブランドとの別注企画はもちろん、2010年にU.S.A.製にて完全復刻させた「M1300」の企画も手掛けるブレイン的存在であり、ファッション業界内ではニューバランスの顔と認識されている正能さんに過去・現在・未来について、いろいろと訊いていきます。

--まずは、正能さんのスニーカーやファッションの原体験について訊かせていただけますか?

正能哲也(以下正能/敬称略): 『キャプテン翼』世代で幼稚園時代からサッカーをしていたので、スポーツシューズやスパイクが身近にあり、普段もその延長でプーマやアディダスのランニングシューズを履いていました。また、それに合わせた服を親に買ってもらったりしていたので、スポーツブランドも身近な存在でしたね。さらに、10歳ほど年上のいとこがおり、彼がクラシック音楽に長け、物理を専攻していたのでサイエンスフィクションなどが好きで、その妹さんはカルチャークラブなどのイギリスのポップスを愛聴していたため、遊びに行く度に『スターウォーズ』や大友克洋の『童夢』などといったSFモノや、洋楽など刺激的な事柄に多く触れられ、興味を持ち始めていきました。

その流れで自身でもラジオのFM放送を聴き始め、貸しレコード屋で洋楽を借りてはダビングを繰り返したり、デビューしたYMOを聞いたりしているうちに、ラジオから流れるRUN D.M.Cを体験したんです。「なんじゃこりゃ!?」と、興奮したものの今のように簡単に調べる術はなく...、そんな中必死で調べると、どうやら新しいHIP-HOPというジャンルなのが分かり、興味を持ち始め、ドップリそっちの方に染まっていきました。

--まさに、日本のサブカルからファッションが盛り上がっていく創世記のど真ん中にいたわけですね。

正能: そうですね。中学生のときに雑誌の『ASAYAN』が創刊され、『メンズノンノ』では阿部寛さんがモデルでデビューしてDCブームが起き、家が横浜だったので頻繁に渋谷へ出ては西武などへ足を運んで、それらを分からないなりに着てみたり、完全に冒されていましたね。

--そんな正能さんが、初めて買ったニューバランスは何ですか?

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正能: 80年代後半に、アメ横の山男B店で1500の初代オリジナルカラーを買ったのが最初です。

--どうして手に取ったのか、覚えていますか?

正能: ファッションとカルチャーが同じくらい好きで、「サブカルありきのファッション」と考えていたので、ジョーダンだったり、ヴィンテージのアディダスを履いていたんですが、そんな経緯でニューバランスというブランドと1300の存在を知り、雑誌の後ろに掲載されていたスニーカー通販の広告を眺めたり、渋カジの流れで渋谷のレッドウッドだとかを訪れたりしたんです。ただ1300のオリジナルは既に新品は存在せず、デッドストックがあれば、という状況だったのですが、そんな簡単には出会えず...。そんなときに1500が登場し、それまで履いたことない上に当時2万円以上したので普通に買える価格ではなかったんですが、「コレはコレでカッコイイな」と思って購入しましたね。

--初めて履いたときの感想は?

正能: 実際履いたら「スゴい」と感動したんですが、その一週間後にラブラドール リトリーバーに自分サイズの1300が売られていて、「もうお金なくて買えない」と落ち込んだのを覚えています。

--当時は、そんなことが多々起こりましたよね。そこからニューバランス変遷はどうなっていくんですか?

正能: どちらかというと収集癖がある方でして、スニーカーが原点なため増えていく中で、吉祥寺と新宿にあったテクテックとお馴染みになり、関村さんや、当時店長だった石崎さんから色々教わって、それまでフランスメイドのアディダスのようなヴィンテージ派だったんですが、新しいモデルの良さを知るようになりました。そこから、ナイキのACGやリーボックのポンプフューリーだったりを買う中で、ニューバランスは576のコードヴァンを購入しました。

--となると、正能さんのファッションはスニーカーが起点なわけですか?

正能: まずはスニーカーありきで、着る服を選ぶことが多かったですね。

--そうなった理由は?

正能: 後追いではありますがパンクや、後のヒップホップなどが原体験だったので、大げさですがレベル意識が高くて、スニーカーやDr.マーチンのブーツなんかが普通の革靴に対するカウンターみたいな感覚もあり、さらに履き心地が良いというフィジカルな快適さも実感していまったので、完全にハマっていったんだと思います。

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--その当時購入したスニーカーは、今も残っているんですか?

正能: 基本手放さないので、今も残っています。

--ところで、正能さんはニューバランス ジャパンに入社して何年目になるのですか?

正能: 1997年入社なので、18年目です。

--どういった経緯でニューバランスに入社なさったんですか?

正能: まったく別業界からの入社組です。大学で建築を専攻して建築業界に就職はしてみたのですが、大学時代からスニーカーにまつわるスポーツ業界か音楽業界で働きたいという思いが強く、27歳くらいのときに思い切って退社して、飛び込みのような形でニューバランスの門を叩きました。いきなり会社を辞めたので、親からは非難轟々でしたけど...。

--それは意外ですね。

正能: インターナショナルなメーカーが好きだったので、各社に電話を掛けまくりました。しかし、当然ながらどこも「取ってませんから」と断れ続け、そんな中でたまたまニューバランスは創業者で先先代の倉田社長が「話を聞きましょうか?」と良い返事をくださって、拾って頂いたような状況です。偶然、別口で輸入関係の中途採用をしていて採用試験があったため「そのタイミングで君の話も聞いてあげるから来なさい」的に呼んでいただき、自分の過去の仕事の紹介と、資料を使ったプレゼンをさせて頂きました。

--音楽業界への転身は考えなかったのですか?

正能: 趣味としては続けていましたが、転職先としては考えませんでしたね。

--それでは入社してからの経緯を訊かせてください。

正能: まずは右も左も分からない状況だったので最初は勉強の意味も含めて、営業職に就くことになりました。

--そんな経歴の中で最も達成感を感じたのは、いつですか?

正能: その後、営業職からデザイン職に移動してまして、当時は会社もそれほど大きくなく今のように分業していなかったので、自分で企画してデザインして開発したモデルが世に出て、それを履いてる方に出会ったときは感慨深いものがありましたね。

--ちなみに、それは何というモデルなんですか?

正能: 低価格のランニングシューズです。量販店で販売される、ニューバランスの中では低価格なモデルでした。

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--そういった経緯を経て、今や業界内では「ニューバランス=正能さん」的なイメージがついていますが、現在までどんな軌跡を刻んでいくんですか?

正能: 自分ではそんな風には思っていなくて。ただニューバランスには名物PR的な存在がおらず、あまり良い状況ではないな、とは思っていました。会社が大きくなるにつれ、デザインの人間、企画の人間、マーケティングの人間と別れてきたときに、「企画の仕事をやってくれないか」と指示があって、そんな提案をすることが増えていった中で、外部で繋がる方々が増えてきた感じですね。あとは、ミタスニーカーズとヘクティクのコラボ話が始まったりして、自分が自然と築き上げてきたこ ととビジネスとがリンクするようになってきた感じはありますね。その後、年数を経たことで、こちら側から「こういったことを一緒にやりませんか?」という 話を持ちかけられるようになっていきました。

--では、当時の正能さんから描いていたニューバランスの未来には、順風満帆で辿り着いた感じですか?

正能: いやいやいや、まったく逆風でしたね。自分が入社した当時は、今ほどニューバランスのブランド的な背景などを理解して頂いて購入している方は多くはなくて、比較的手頃なスニーカーの方もけっこう売れていて。社として売れている商品を引き続き指示していただけるように存続させるべきである一方で、ブランドとしてカッコイイ存在にならなくては、と考えていました。渋カジやアメカジが流行していた頃から感度の高いコアな方々には愛用して頂いていましたが、ブランドを成長させるために、そこの層をどう拡げていくべきなのかというジレンマは常にあり、大きな課題だったんです。ですから、プロダクトとしてはMADE IN U.S.A.のモデルを増やしたり、それに準じた買い求めやすいプロダクトを展開していくようなチャレンジはできましたが、物は出来上がってもそれを世の中に上手に拡げていく手段が容易ではなく、モヤモヤとはしていました。それで、 フイナムさんにもカタログにご協力いただいたり、ブランドブックの相談をさせてもらって、本当にコツコツと形にしていった感じです。

--となると、ここ数年に仕掛けてきたことが実を結んだ感は強いんですね。

正能: そうですね。2013年に4社のセレクトショップで996を同時別注した企画は、提案して受け入れて頂いて、最終的はビジネス的なところまで絵を描いた通りに上手く成功した大きな事例ですね。それまでは、コラボレーションをやりたいと提案頂いた相手からの受身的な側面が強かったんですが、逆にニューバランス側から提案で綺麗なシナリオを描けましたね。

--では、現状について訊いていきますね...。

ただ、ちょっと長くなってきましたので、続きはvol.02にて。それでは、お楽しみに。


正能哲也
Tstsuya Shono

ニューバランス ジャパンにてシューズの企画を担当。MRT、MRLなど、新しいテクニカルを搭載させたシリーズや、各ブランドとの別注企画はもちろん、2010年にU.S.A.製にて完全復刻させた「M1300」の企画も手掛けるブレイン的存在。

Contribution_Yasuharu Imai
Edit_Ryutaro Yanaka
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